【質問】中華と言えば何を連想しますか?
八宝菜?酢豚?はたまたフカヒレスープ?
ひとによって様々だと思います
でもうちに来て
僕があなたに食べてほしいのは
焼きそば なんです

「なんで焼きそば!?」
ほかにもメニューいっぱいあるやろうに!
なんでそんな
どこにでもあるようなもんを看板に持ってくるのか?
そこにはこんな思いがあるんです
今日、阪神淡路大震災から30年が過ぎました
僕もまたあの震災で大きく生き方が変わった1人
当時僕はアパレル会社に勤めていました
中国の寧波というところで駐在員として
工場の生産と品質管理をまかされてたんです
一日に何十万枚という商品が出来上がってきて
それを見て回るわけですからまぁ~大変

納期が迫ると夜通しフル稼働するので
こっちも徹夜です
「神戸が大変なことになってるぞ」
とは言え、当時そこは中国の片田舎
まだ田んぼ耕すのに水牛が登場してるような場所
日本のテレビなんか映りません
僕が耳にするのは
国際電話で短いやりとりの中
すさまじく増えてくる死者の数
「こらあかん、お前一回帰ってこい」
上司の一言で私は
とにかく日本に帰ることになったのです
会社からいただいた物資を乗せ
バンにスクーターを入れて
交通情報を聞きながら
山手から神戸に入る
もうすぐ神戸だというのに
山側ではまだパチンコ屋が開いてました
「なんや別にたいしたことないんかな」
そう思いながらトンネルを抜けた先
広がってた光景は今でも目に焼き付いてます
「これが神戸?これが日本?」

そこから先はもう道路がぐちゃぐちゃで車も通れません
そこでようやくスクーターを積んでた訳が
よくわかりました
変わり果てた街並みを見ながら
到着した我が家
その時に僕をみて母が発した一言
「なんで帰ってきたん!」
ほんといろんな気持ちが詰まってたんやと思います
そこでぼくはほんの数日
みんなと共に生活しました
商店街にある古本屋さんの駐車場
そこにみんなが集まって
家にある食材や物資を持ち寄って
助け合うその姿
数日後中国に帰った後も
ずっとそのことを考えてました
(このままでほんまええんやろか)
中国から帰ってきた僕は
父に自分の気持ちをぶつけました
平成9年、震災から約2年
ようやく聚鳳がここ
春日野道商店街に戻りました。
当初私はそのまま
神戸飯店で修行を続ける予定だったのですが
ふいに従業員が辞めたこともあって
急きょお店に戻ることに
まだまだ見習いの身でしたが
こうなるとそうも言ってられません!
毎日必死で料理を覚える日々
そんな中あらためて
あのやきそばを教えてもらいました
うちの生麺で作るやきそばは
以前教えてもらったのよりも
ずっと扱いづらく、繊細で
そしておいしかった
「うちの看板メニューや、お前にまかした」
そう言った父の言葉は
とても重く、今もずっと心に残ってます
そうして気付けばもう30年
ただ愚直にそれを守り続け
何十万のお客様に
召し上がっていただきました
こうした声をいただくことが
日々の励みになり
気を引き締めることにもなります
だから
「あなたが一番得意な料理は何ですか?」
そう尋ねられたら私は迷わずこう答えます
「やきそばです!」
そんな父が亡くなってから
もう10年が過ぎました
お店は今も
多くのお客様の笑顔に守られてます
僕たちは今日もここで
がんばってるよ


